2005年10月29日、
地球おはなし村立ち上げのための、第1回村寄合いの場に、
象牙海岸からこられた、5人のゲストが参加してくださいました。
グリオのメートル・アダさん、
おはなしのお得意なデニーズ・クリバリさん、
アビシャン大学教授のモリ・トラオレ先生と 奥様の園田和子さん、
息子さんのヒッセンさんの面々です。
みなさんはたてつづけに3回、おはなし村ワークショップに全員で出ていただき、
私たちにとても多くのステキなものを 与えてくださいました。
グリオとは、西アフリカの世襲の職業語り部のことです。
アダさんは、生まれた時から音楽と語りで一生をすごすことが決まっているわけです。
王さまのご先祖のいわれの語りや、その場にいる人たちを言祝ぐ語りを、
西アフリカの木琴、バラフォンや太鼓のジェンベにあわせて、歌い、語ります。
もちろん、即興もなんのそのです。
そんな方たちは、一昔前には日本にもおられましたが、今おめにかかることは、
世界広しといえども、そう多くはないでしょう。
こういった貴重な語りを、わたしたちの目の前で披露してくださったのです。
本当に、めったに経験できない、すばらしい 3週間でした。
10月29日、
村寄合いの前の朝、音楽隊との練習では、
アダさんが隊員の皆の前でバラフォンでの語りをご披露、また、ジェンベも教えてくださいました。
村寄合いのあと、アダさんはまずバラフォンでの語りで私たちをたたえてくださいました。
つづけて、村長のおはなしがはじまります。そこにアダさんが(その日本語の)おはなしにあわせて
即興でバラフォンの音を添え、語りの世界がくりひろげられたわけです。
クリバリさんは口頭伝承のゆたかなご自分の子どもの頃のアフリカ、
そしておばあさんのことなどを語られ、つづいてハイエナの背中が曲がっちゃったわけ、という
動物昔話を 園田和子さんの通訳で語ってくださいました。
そこでも アダさんは即興でバラフォンの音色を添えはじめました。
明るく、軽いタッチのバラフォンのサウンドに、女性二人の華やかな声が、
まるで波の上をそよ風に乗って聞こえてくるような、ほんとうにすばらしい、心地の良い「語りの世界」でした。
わたしたちがよく耳にする語りは、もっと叙事詩的で音楽性の強いものがほとんどです。
こういった ふつうの昔話に サウンドが添えられる、といったものをきく経験は初めてでした。
音楽隊もジェンベをもちだしてきて、音楽の輪に加わりました。
もう皆、グリオになった気分です。
和子さんはご自分でもバラフォンを演奏されます。 ラストはコラボレーションです。
次の週の11月5日には、モリ・トラオレ先生が、
「アフリカ文化における口頭性について」 のテーマで おはなしをされました。
通訳は奥様の和子さんです。
人類が始まって200万年、そのうち文字が使われ出したのは、5000年前です。
人間の歴史の中で、文字を使っている時はわずか0.25%しかないのです。
現代の人間は文字に縛られすぎている、と トラオレ先生は強調されます。
「○○に書いてある」という言葉をよく使いますが、本が現実じゃないのです。本当のことは文字ではありません。
文字は人間にとっていいものももたらしましたが、大きなマイナス面ももたらしました。それは「差別」です。
文字は、文字をもたない世界を拒絶しますが、オーラルの世界は、異質の世界を除外しません。
それは人間の耳が雑音があっても 個別の音をききわけるのと同じです。
文字はすごい力で理論を作り上げます。
現代は実践より理論のほうがえらい、という理屈がまかり通ります。
例えば、グリオの人はどんどん即興で語りをおこないます。
その語りを誰かが録音して発表したら、著作権は語ったグリオの人にではなく、 録音者のものになります。
なぜなら、グリオは文字をを使わない人がほとんどなので、著作権の申請ができないからです。
そんな文字文明の工業化・産業化の末の現代ですが、
今、コンピュータや・インターネットによって新しい風が吹き始めていると先生はおっしゃいます。
コンピュータはオーラルの世界に属するものである、ということなのです。
アフリカでは、知識階級の人ほど、コンピュータについていけず、
文字をあまり使わない人ほど、携帯電話などをうまくオーラル世界のものとして使いこなしています。
オーラルの農耕世界が文字・視覚的文化の産業世界になりましたが、
今またコンピュータによるオーラル世界が復活しつつある。
3種の舟は海にただよっているが、風はオーラルの方向に向きつつあるという、希望あふれる見解です。
オーラル世界では、津波を予知していち早く逃げた動物たちのように、
人間も自然の響きを感じ、危険をかぎ分け、自分の身を守る能力を持っていました。
これからの子どもたちには、架空の文字でなく、実質の力をもったオーラルの世界を伝えるべきだと、
おはなしをしめくくられました。
続けてアダさんとクリバリさんが、
また語りとバラフォンをご披露してくださいました。
トラオレ先生のおはなしは、首肯させられるところが多大でした。
昔話の語りをやっていると、昔話はだれのものか、という問題に よくぶつかるからです。
絵本を一字一句違えず読む といった語り方とか、テレビやラジオのアナウンサーなどのしゃべりは、
オーラルの世界ではなく、文字世界に属するものなのだと、改めて認識しました。
博物館などでも、たくさんの映像音響資料を保存しながら、一般公開せず、
死蔵しているケースが多いのは、著作権という化け物がすみついているからです。
理不尽な、と憤慨していますが、それは文字社会のもたらした理不尽さというわけです。
それゆえ、トラオレ先生の希望的観測には力を得る思いでした。
たしかに、グリオの方々がどんどんネットで即興の歌を流しはじめたら、
紙を何枚も使う著作権など、追いつけそうにないでしょうから・・・
また、映像のたとえも面白かったです。
子どもはテレビを見ているうちに、どんどんテレビに近づいていく。
テレビの映像は穴だらけであって、それを確かめるために無意識に近づくのだ。
テレビは実際ではない。
私たちの目は、穴だらけの画像を目で手探りする作業をしながら見ているのだ。
文字社会とはそんなものに近い・・・・と。
映画のフィルムは映像と音声に分かれている。映像係と音声係はえてして仲が悪い。
ところが、ビデオのフィルムは映像も音声も一緒に入る、新しい世界だ。
ここにも、新しい風がおこりつつある、・・・・と。
アフリカでは文字を使わない人のほうが、コンピュータをオーラル世界のものとして
よりうまく使いこなしている、というおはなしにも、たいへん興味をもちました。
日本の若者が 世界で一番、コンピュータの使い方がへたくそなんじゃないかと思いました。
村長のこともほめておられましたよ。
ふつう文化人類学者は ちょっと来てすぐ帰るが、EGUCHI は全く違う。
現地の人がよせる信頼が比べものにならない。
そして 彼はオーラル世界の人間だ。
日本のグリオだ・・・・と。
11月12日、
またまた5人全員が来てくださって、こんどは おはなし村の音楽隊のコーチ、
ジョセフ・ンコシさんとともに、ジェンベの手合わせ稽古です。
教えてくださる新しいリズムに、音楽隊の面々は、どうしてなかなか、しっかりついていっていました。
バラフォン演奏には、また和子さんも参加。
皆で記念写真もとり、この3週間のワークショップへの感謝の意を表しました。
5人の方々は、3日後にご帰国です。
彼らは お国でわたしたちと同じような語りの活動をされており、
今回の出会いを記念に、地球おはなし村の村民になっていただくことになりました。
地球の反対側で、お互いに手をとり合って、ともに活動していこうと、約束しました。
アダさんは、日本で使っておられたジェンベとバラフォンを、
おはなし村のために置いて帰ってくださいました。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
これからも、どうぞよろしく。
(2005年 11月16日 記)