村長のおたより  

               


2006年のおたより

  

 2006年 7月20日 象牙海岸のアビジャン在住 地球おはなし村会員の 
  和子さんから 村長あてに メールがとどきました。
   みなさん、象牙海岸でがんばっている 和子さんを 応援してあげてください。


  


  江口さんへ

 きのう、アダさんが、ジャポン・ジェリ (日本のグリオ) からお電話もらったといっていました。

 この江口さんの便りにこちらの皆うれしくなりました。
 江口さんのこと、地球おはなし村のみなさんのこと、
 カラス(モリ・トラオレさんと和子さんたちのやっている文化センター)のみんなが知っています。 
 その後のこちらの国の様子はというとつぎのようです。
 ここしばらくは平静でしたが、今日朝から 
 パトリオット(愛国主義者)の人たちがあちこちの道路を封鎖しています。
 土曜日から始められた、住民の身分証明作業
 (これは大統領選挙のために必要な戸籍作りとされています。
 国がどういう人びとで成り立っているのかの住民台帳が すべて
 2002年いらいの状況で破壊されて 現在、なにもないのです)、これに抗議する動きです。

 すると、突然、自宅に、遠いパリに退避中の日本大使館の領事の人から電話がはいり、
 「アビジャンは緊張がたかまっているようですね、たいへんですね、外出は控えて気をつけてください」
 などの緊急連絡が入ります。
 ちょっとなにかピントずれてますよね。 日本の外交官。
 こんなことでまた、外務省が コートジボアールの危険ランクを引き上げたりするなど、ほんとうに迷惑します。
 現在のランクは 最悪のひとつ下で ”なるべく渡航を延期するように” 令なのです。

 さて、アダと私とでやっていた音楽アトリエに 最近もう一人メンバーが加わってトリオになりました。
 バウレの伝統パーカッション ”アウレ” を鳴らしながら歌う 女の子です。
 カラスで8月半ばにコンサートを準備中です。 アダといつも話しています。
 こんど皆で また日本にいこうね、と。

 それから、あさってから、 ブロクロ村のすぐ近くの タノコフィクロ村へ行きます。
 20年前に亡くなった ノエル・エボニ (ジャーナリスト、作家だった友人) の
 生まれ故郷で 20年祭の催しものをするためです。 
 実は ノエル・エボニの御母さんの生まれた村が、
 江口さんのブロクロ村 (おはなし村村長が 1968年のクリスマスをすごしたアニ族の村) なのです。
 そんなわけで この前もおつたえしたように、 この村で日本のみなさんとの
 「地球おはなし村」 の夢が実現すれば (この村でコンサートと語りの会をひらくこと)・・ と考えてます。
 村には お客さんが泊まれる小屋も いくつか作ってあって、ちょうど今はヤムいもの収穫の頃、
 あつあつのヤムいもに 葉っぱと燻製魚を練ったタレをかけた 朝ごはんがでてきますよ。
 ノエル・エボニのお父さんが ガーナ方面からやってきて 住み着いて出来上がった村です。
 村からかえったら 写真など くわしいことをお知らせできると思います。

 さて、私のことですが、母のこともあるので、日本行きを10月ころにとおもっていますが、
 その頃 アビジャンの様子が どうなるかしだいです。

 イセン(和子さんの息子さん)は 卒業作品発表が来週からあるので、
 その準備に毎日学校へ行っています。
                                     かずこ 

          
       音楽の練習風景                 火炎樹の木の前のアダさん。 おっ! このTシャツは・・・!


 

    事務局から

    和子さんは、2005年10月、おはなし村の立ち上げのときに
     かけつけて メートルアダさんと共に 友情出演してくださった、モリ・トラオレ先生の奥様です。
                          → 第1回村寄合いと立ち上げ記念イベント 象牙海岸から特別ゲストを迎えて
     写真も送られてきましたので、2枚ご紹介します。
           なつかしいお顔です。 

    コートジボワールの情勢が厳しいのは きいていましたが、
       現地在住の方の 生の声をきかせていただくと、ひしひしとわかってきます。
        おはなし村のブロクロ村公演の夢・・・ぜひ実現させたいですね。

         10月にお会いできればいいですね。 楽しみです。


 象牙海岸からの おたより

 

 2006年 9月、象牙海岸(コートジボワール)の アビジャン在住の 
  おはなし村会員 和子さんからきた 村長あてのメールです。
 なんだか、コートジボワールでは 今 たいへんなことが おこっているようです。
  みなさん、あちらの状況を理解して 和子さんを 応援してあげてください。
   おはなし村 10月の自主公演のときには、元気なお顔を ぜひ拝見したいものです。


 


  江口さんへ


もう 9月にはいってしまいました。
8月末から アビジャンでは、情けない事件がおこっています。
外国船が アビジャンの港につみおろした 有毒な産業廃棄物が 町の中に吐き出され、
アビジャン市内で 大きな被害がひろまっているのです。

これは、 ロシアからの産業廃棄物をつんだ パナマ国籍のタンカーが
アフリカに 処理場をもとめて さまよっていたのを
(方々の国で拒否され、7ヶ月もさまよっていたそうです)、
なんと コートジボアール国が "処理施設がある” といって受け入れ、
8月半ばに 400トンの有毒な液体が港につみおろされ、
対応できる処理場など もともとないので、
トラックに積んで 夜中の3時頃に どろぼうのようにして
アビジャン市内の 7箇所のゴミ捨て場やゲットーの穴などに 捨てたのです。

毒物は 強烈なにおいがし、そばの住民は頭痛、吐き気、セキ、呼吸困難、などを訴え始め 
それでようやく 事件がおもてに出たのでした。
税関の責任者、 アビジャン港の責任者、 運輸大臣、 環境大臣、など
政府の指導者たちの責任 (というより これはもう犯罪行為) が問われています。
なんでも 170億セイファーフランを 受け取った ともいわれています。

先週、怒った廃棄場付近の住民たちが ストライキをはじめ、
3日ほどは 市内の交通が混乱しました。
そしておととい 内閣が解散され、新内閣は まだ発表されていません。
毒物の成分が いったい何なのか まだ判明されていません。

船長の つみおろし要請レターによると
石油関係の産業廃棄物 と記してあるそうですが、どこまでほんとうか。
コートジボアール政府は フランスに たすけてくれとたのみ、
フランスの専門家が 分析調査のため 今日到着するとのことです。

数日前の 深夜に雨がふったときには、ココデイ地域は 全域悪臭におおわれました。
私も 夜中に目がさめ、ガスもれかとあわてました。

その後 においは消えていますが・・。
アダさんのいるアボボ地域では 被害を受けた人が多いのです。

アダさん自身は元気です。
アダさんのところは 幸いにゴミ捨て場から離れていたのですが、
近くだった マンガさんの妹さん一家は 先日 村へ退避していきました。

たくさんの人々が こうやって 遠くの村や、親戚のところへと 退避しています。 
これは 戦争よりももっとひどいこと、と 国民は怒っています。

さて、 日本行きのこと (10月28日)、 今回は予算がないので
去年のように みんなでそろって行くことは できなくなりました。
いろいろなことが起こってきて、 私自身の日程も まだ決めかねています。
もう少し ここの様子をみて と思います。

それでも カラスのみな元気です。
いま 9月終わりの コンサートの準備をしています。

みなさんによろしく。


    かずこ


   

   事務局から

 以上の事件、日本の新聞は 下のように伝えています。
  政府筋からの発表なんでしょうか? 
   ロイター通信や毎日新聞と かずこさん、 みなさんは、どちらを信じますか?


        




 コートジボワール:有毒ガスで3人死亡、1500人が被害 
                              【ヨハネスブルク 白戸圭一】 

コートジボワール最大の都市アビジャン(推定人口約350万人)で
先月19日、大量の有害物質が船から海に違法投棄され、
硫化水素とみられる有毒ガスが市内の広い範囲に充満した。
9歳の少女を含む少なくとも3人が死亡、1500人が呼吸困難や吐き気などを訴え、
暫定政府のバニー首相が6日、混乱収拾のため閣僚を全員更迭する騒ぎになっている。

ロイター通信などによると、
アビジャンでは8月下旬から、卵が腐ったようなにおいが広がり、
のどの痛みや吐き気を訴える住民が相次いだ。
捜査当局はオランダの企業が契約したパナマ船籍のガソリン運搬船が
先月19日、近海の7カ所で有害物質を投棄したとして、関係者3人を逮捕した。

同国は内戦終結後も国土が南(暫定政府)と北(反政府勢力)に分断されたままで、
行政が混乱し、医療水準が低下している。
このため政府の対応の遅さに怒った住民の抗議が広まり、
暫定政府のバニー首相は6日、全閣僚を更迭した。  

                        《毎日新聞 2006年9月7日 19時42分》





象牙海岸からの おたより その後

 

 和子さんから、その後のアビジャンの様子が伝えられてきました。
 村長とのやりとりと ともに、アップさせていただきます。


 


和子さん

まことにアフリカらしい事件ですね。
 これも、政府の弱体化、無政府化のおかげだとおもいます。 
 無責任な政府をどうしたらよいでしょう。
 反政府軍もいるし、政府のなかに無責任者がいるから こうなるのです。

 有害物質は、結局のこと除去できないでしょ。
 日本でも、有害物質の除去は たいへんむつかしいことです。

 やっとのことで、アイルランドからかえってきました。
 日本のよさをかみしめたいとおもっています。
 和子さんのくるのをたのしみにしています。
 ジャズピアノきかせてください。 まっています。
        
          江口一久 拝

   


江口さんへ


その後、有害物質の事件は、犠牲者が広がっています。
現在までに、病院で確認された患者は 6,000人 にのぼり、
亡くなった人も数人になるといわれます。

おとといは、怒った住民グループが元運輸大臣
(有害物質を積みおろす許可をあたえるサインした)を殴り 車を焼く事件がおこり、
また同日、アビジャン港の責任者の大邸宅も焼かれました。
有毒物が捨てられた地域の住民は悪臭に耐えかねて
着の身着のままで家をすて どこかへ退避しています。
私の友人の日本人女性は就寝していて 呼吸困難に陥って目がさめ、
病院へはこばれ、治療後は自宅へ戻らず そのまま知人のところへ退避中です。

フランスからの救助隊がきて、 きょうから毒物除去作業がはじまりました。
最初の報道の7箇所ではなく 合計11箇所に 捨てられていたことがわかりました。
わたしたちの家の近くでは、警察学校の裏地の穴だったそうで、
雨が降ると いまだににおってきます。
毒の成分は硫化水素、イオウ系のものと発表されています。

こまるのは、 トマトやサラダ菜などの野菜類は
そのあたりの畑で作られているので、食べられなくなったことです。
海にも捨てられた可能性があるので魚もいけないそうです。
何をたべたらいいの?  鶏肉は大丈夫だそうです。
いちじは、鳥インフルエンザがアビジャンにもきていて、
プレ・ヤサ料理が 姿を消していたのですが・・・

私たちは たまたまゴミ捨て場から 150m以上離れていたので、
ひどいことからはまぬかれたわけですが、
被害に遭われた人たちはほんとうに気の毒で、 ひどいことです。 
毎日すっているアビジャン中の空気が汚染されてしまっているので、
だれも逃げようもないです。
これからどうやったら、それを少なくしてゆけるかですが、むずかしいですよね。

さて、こんな冴えないニュースに追われている わたしたちの毎日ですが、
ちょっと気分を持ち直して、今週の土曜日に音楽のコンサートを開きます。
こちらに住んでいる邦人 (20人くらい)の みなさんもいっしょになにかしましようと、
アダさんとみんなではりきって練習しています。

では、 おはなし村のみなさんに よろしく。 

           かずこ


 

 2006年10月20日
の かずこさんからのお手紙です。
  コンサートの写真もいただきました。
 

 

江口さんへ

 連絡がおそくなってすみません。

 こちら、有毒ガス事件は200億CFAかけて除去作業が終わったと、
 えらそうに政府はいっていますが、 集められた有毒物がどこでどう処理されるのとか、
 今後どのような弊害が残るかもしれないとかの,住民の心配ごとへはなにも情報がないままです。
 地域の人たちのいろんな集まりが広まっています。
 そんなことで、カラスも忙しくなってしまい、私は28日の公演に間に合うように行けません。
 残念です。 準備に真っ最中のみなさんには、ほんとうによろしくと、お伝えください。
 ごめんなさい、ほんとうに、残念。

 アダさんも、みなさんに がんばってくださいね、とのことです。
 この前のコンサートの様子を写真でお送りします。

  それでは、またお便りします

      かずこ


     
    モリ・トラオレ先生のごあいさつ              ジェンベワークショップのアダさん右端はイセンさん。

    
   バラフォンのクラシック曲 『シンテ・コナンフェ』               コンサートのお客さんたち
  
 「鳥におっぱいはないけど、神様がちゃんと育ててくれる・・・」

    
   在アビシャンの邦人の方々(全部で24人)も参加。   「あめあめふれふれ かあさんが・・・」 彼のおはこだそうです。

  

    事務局から

   毒物のその後の中途半端さは、さすがアフリカ。
     地域の方々の苦労が思い知られます。
 
   お会いできないのは 本当に残念!
    でも、コンサートの写真から、お元気そうな様子がうかがえます。
     また ぜひ機会をつくって お会いしましょう。

        


2007年

  

 200年11月2日の報道記事、かずこさんのことが載せられています。
  アップさせていただきます。


 

Friday, Nov. 2, 2007

'Terakoya' school in Africa gives pupils hope

By HIROSHI TANAKA

ABIDJAN, Cote d'Ivoire (Kyodo) In the some 27 years she has been in Cote d'Ivoire, Kazuko Sonoda has witnessed the nation popularly known as Ivory Coast transform from a stable model African state with remarkable economic growth into a country torn by civil war.

A military coup in 1999 was followed by a plunge into internal warfare in 2002 that resulted in the country being partitioned between the north, dominated by antigovernment elements, and the south, under the control of government forces.

A peace process has been under way since both sides agreed to end hostilities in 2003.

The 59-year-old Sonoda, who lives in Abidjan, the largest city, with her husband, Mory Traore, said, "Education in this country is getting worse day by day compared with when I first came here."

Existing schools, she said, are in a state of disintegration as disgruntled teachers strike repeatedly over unpaid salaries.

It was against such a background of continuing chaos, even after the end of the civil war, that the nongovernmental organization Centre Africain de Recherche-Formation-Creation en Arts du Spectacle et Communication opened in September a "terakoya" (private school) in a room at an apartment house it uses as its office.

Those coming to the terakoya ? the name for private elementary schools operated during the Edo Period (1603-1867) ? are mainly children under 10 years old.

They receive lessons, including arithmetic and music, from 8:30 a.m. to 2 p.m. Monday through Friday. The language used is English instead of French, the country's official language.

"English will be the language of the time from now on," Sonoda said.

She and other teachers have been receiving applicants for admission to their school from parents who are dissatisfied with the education provided by existing local schools.

The sound of clapping could be heard from the classroom at 9:30 a.m. as the children sang a song with Sonoda playing the piano.

"Lessons here are so much fun," said 8-year-old Mary Helene Kanga with a big smile after taking the music lesson. "I like arithmetic particularly. I'd like to be a doctor in the future and help many patients."

Sonoda said she is teaching at the school because she believes strongly she should do something for children. She said parents and those in their generation are responsible for educating children.

"I'd like to teach children things necessary for them to live in whatever environment they might face," she said.






 村長のおたより  


2008年のおたより

 
 

 2008年のお正月
、村長から和子さんへの おたよりです。

 

 和子さん

そちらのパンがちいさくなったとのこと。
こちらは、ちいさくなっても
100フランです。
わたしは、朝食は、マカロニをたべています。
ソースはトマト味のミートソースです。
ソースには、キャベツをたっぷりいれてもらっています。
ここにいるときは、毎日おなじ味です。
コンチネンタルがきらいだからです。
コーヒーとパンというのは、やはりあじけないからです。

でもよくかんがえてみると、象牙海岸でも、カメルーンでも、
小麦をつくっていないわけですから、和子さんとこも、小生のところも、
輸入品を口にしていることになります。
そのへんが、どうも、いやなのですが、仕方がないですね。
なれは、こわいです。
というのは、小麦粉は生産国のオーストラリアやカナダなどから、
はるばるアフリカまではこばれてきます。
船にのっているあいだ、また、船から消費者の口にはいるまで、
小麦粉がだめにならないように、たっぷり殺虫剤がかけられているでしょう。
もちろん、生産地では、たっぷり化学肥料がつかわれているでしょう。
それに、これまた勘ぐりですが、アフリカに世界一いい小麦がくるわけがありません。
戦後の日本におしよせた小麦粉とおなじくらいの質のものでしょう。
そんなわけで、わたしは毎日マカロニをたべるたびに、
仕方のないことをかんがえているのです。

きょうは、久しぶりに断水と停電。
わたしのすんでいるところから、数キロのところに井戸があり、
そこから、水が供給されています。
井戸からちかいところなので、水がでるときの、水流の強さはたいへんなものです。
その水にふれるのは、たいへん気持ちのよいものです。
電気は、ここから二百数十キロメートルはなれたベヌエ川をせき止めてつくった
ダムにある発電所からやってきます。
水にしろ、電気にしろ、わたしたちのカルチエでは、
もっている人のほうがずっとすくないです。
だから、断水だとか、停電だとか、水の量がおおいとかすくないとかは、
持てる人のたわごとです。
これは、昨日に 明日は断水、停電というアナウンスがあってのことなので、
文句はありません。

ここ数日、メッカからかえってきた人たちのところに、町中の人たちが挨拶にやってきます。
飛行機にのってメッカにいき、ガイドにつれられて、
街をあるいてきた人たちが えらそうな顔をするのです。
昔話に、「メッカからかえってきたネコ」というのがあります。
メッカ参りをしたネコの悪い目つきがかわらないことをいいます。
メッカにいった人の心がきれいになり、モスクでお説教をきいてきた人がやさしくなれば、
この世は天国になります。
そうならないから、おもしろいしろいし、そんなものなのです。

そちらの寺子屋、正月はおやすみですか。
ここマルアのコーラン学校は、正月もへったくれもありません。
このあいだ、コーラン学校の先生たちがぼやいていました。
1週間1度、金曜日の午後に生徒たちがもってくる 1人100フランの授業料が
まったくはらわれていないというのです。
おっそろしい世の中ですね。

それでは、いいお正月を。

  江口一久拝

 

    事務局から

  「メッカへおまいりに行ってきたネコ」 のおはなし、おはなしの部屋にアップしています。
    ごらんください。  
                  → おはなしの部屋

 

 2008年1月21日、アフリカカップの日、和子さんからのお返事・・・


 

江口さんへ

マルアからのお便りいつも楽しみによませてもらってます。

江口さんは朝はマカロニですか。
わがやでは、ほうきの柄パン(これは値段をそのままにしておいて、サイズを小さくしていったために、
「ほうきの柄」ほどのほそいパンになったこと。)
をやめて
このごろは、おじやにしてます。 タイ米です。

食糧援助というシステムで日本などが昔からODAでやっている援助のひとつで、
日本がタイから買った米をコートジボアールに寄付。
はいってきた米は管理する公社(昔は前の大統領の奥さんが社長だったような)に
いったんはいって、全国の卸業者に売られます。 
そうして、小売店で5キロ、10キロ、15キロ、25キロ、50キロ、などの袋で売られています。 
1キロ350セイファー(セイファーは、西アフリカ・フラン。CFAをカタカナ表記にしたもの。
日本円には、1/4をかければよい。)
などが安いほうで、匂いつきの上等になると
600セイファー以上します。
この米も一ヶ月前に値上がりして350セイファーのが430セイファーになりました。
土地で作っている米もあります。
キロ250セイファー。
炊き立てはおいしい。
西の地方はむかしから米つくりの人々だったそうです。

でも、その米はごみをとりのぞく作業がたいへんです。
わがやに食事つくりに来てくれているアリさんは
30年間、日本の商社や大使館で日本料理のコックさんだった人ですから、
そんな、アフリカの土地のものの食事のしたくは、おんなこどものやることと思っていましたから、
料理とはみなしていません。
ですからタイ米を電気釜で炊いてもらってます。
江口さんのおられるところでもそうでしょうけど、
こちらの女性は、米つぶを入れたひょうたんを、ひょいひょいとゆさぶって、米をあらい、
じゃりや小石をじょうずにとりのぞいてしまいますね。
これはすごいテクニックです。
これをしておかないと、万が一ひとつでもじゃりがはいっていてそれが夫の口にはいり、
ジャリッとやると、すぐさま鞭をもった夫におっかけられるくらいのこと覚悟しているからだそうです。

きのうからCAN(サッカーのアフリカ・カップ戦。今年は、ガーナが開催地)がはじまりましたね。
きょうの午後にコートジボアール・ナイジェリア戦(コートジボワールが1対0でナイジェリアに勝った)
があるので、朝から近所がざわざわしています。
イセンの(和子さんの息子)働いている作業場では昼に仕事はストップして、
テレビを運びこんでみなで観戦するのだそうです。
町じゅうがざわめきたつことでしょう。
今日の午後 カラス(和子さんたちのしている文化センター)でアダさんと練習があります。
まわりの歓声、怒声にジェンベで対抗しようといってますが。

ではお元気で
また、お便りします。

  かずこ
  

 

 翌日、村長のお返事

  

和子さん

昨晩(22日)のアフリカカップ戦は、カメルーン・エジプト戦でしたね。
残念ながらカメルーンは31でまけました。
カメルーンが一点いれたとき、町中に歓声があがりました。
みんなサッカーの観戦のために、そとにでている人は、いません。
しずかなものでした。
そちらも、強豪ナイジェリアに勝ってよかったですね。
へたにまけたりすると、放火や、殺人があったりするでしょ。
それがこわいのです。
こちら、フルベ族はしずかなものです。

そうそう、和子さんのメールに、我が家のマカロニの話がのっていたので、さくじつ写真をとりました。
ワンパタンで、ここに十数年毎日おなじものをたべています。
ベースは牛肉です。
それに、日本のタキイのつくった種をまいてそだてた野菜をいれて煮てあります。
野菜といっても、最近は、キャベツが中心です。
味付けは、塩とトマトペーストです。
牛肉以外は輸入品ですから、特別の食べ物ということになります。
そもそも、こんなものをたべだしたのは、マルアあたりが、磁赤道なるものがあるためです。
二十数年前、九州大学の北村泰一教授(当時、いまは、名誉教授)が
かい助手や学生さんをつれて、我が家に地磁気の観測にやってきました。
その後何年か、わたしは先生たちの観測隊の連中のお世話をさせていただきました。
なにぶんわかい人たちは、よくたべるのです。
そのとき考案したのが、我が家のマカロニ料理です。
これが好評だったのでいまでもつづいているのです。
まあ、やめてもいいのですが、朝、しっかりたべておくのは、いいことだとおもっています。
でも、それをつくってくれるウンマハーニおばさんは、
朝、5時前にはおきて、料理をはじめなければなりません。
イスラム教徒は、5時半ころにお祈りをするので、問題はないといってもらってはいます。

    

昨日のメールにフェルケセドグの映画祭かなにかに出席するために、きょうでかけられるとありましたね。
どうか気をつけていってきてください。
自動車で十数時間とはきついですね。
わたしは、あそこまでずっとまえに汽車でいきました。
彫刻などのとくいなセヌフォ族がすんでいますね。

こちら、きょうも十数度。
みんなふるえあがっています。

 マルアから 江口一久拝


 

    事務局から

  サッカーのアフリカカップ、みなさんの熱狂ぶりが目に浮かびますね。
  
  お米のこと・・・
   何も知らない日本人がよくごはんにとびついて歯を痛めたってのは、しょっちゅう聞きますが・・・
    それにしても、マカロニ、おいしそうですね。
     村長は以前、NHKの「男の手料理」にも出演された、名コックですもんね。





 


 2008年 2月、和子さんから FESTIKO(コロゴ映画祭)のこと

 


江口さん


北の町コロゴからかえってきました。
ハルマターンの砂塵が町じゅうをおおっていて、
なんか薄茶色のフィルターにつつまれたような、しずかなゆったりとした町。
この町でうまれた映画監督のイェオ・コゾロアさんが、
仲間の映画人たちによびかけて、ドキュメント映画祭というのをコロゴで開きましょうと、
一年以上前から準備していたのが、やっと実ったのでした。
コロゴは江口さんもむかし汽車にのって、フェルケセドグに行かれたことがあったのですね、その近くです。
セヌフォのひとたちがすんでいる一帯です。

2002年以来、この国の内戦情勢で、一時は南と北の行き来ができなかったのですが、
去年2月にやっとこぎつけた平和協定で
戦争はもうやめましょう、今年の(6月ころ?)にまっとうな大統領選挙にもってゆきましょう・・
ということになったので、アビジャンから600km北のコロゴの町までの旅もできるようになったのです。
アーチストやジャーナリストたち用に映画祭が用意した貸しきりバスに、アダさんやわたしも
飛び入りで乗り込ませてもらって、楽器を屋根につんでわいわい、ぎゅうぎゅうづめで出発しました。
今人気の歌手ドリアンという人と、ヤムスクロから乗ってきた美容師の女性と
わたしとだけが女性でしたから、道中のおトイレ問題に苦労しました。
車内にがんがん鳴らしているミュージックにのって、突っ走ることに集中している運転手さんに、
途中駐車をおねがいしなくてはなりません。
最後尾の席だったので、アダさんに大きな声で、さけんでもらいました。
アダさんの迫力です。
突っ走っていた運転手さんはアナボコになんどもやけくそのように乗り入れてから、
やっと止まってくれました。 
ああ、やれやれ、と全員ぞろぞろ下車します。
そこは雑木林でした。
道路に背をむけた男どものながい行列ができます。
わたしたち女性は、そこからまた奥のほうの茂みをさがすのでした。

モリさん(和子さんのご主人)は映画人の仲間の車に便乗、
映画界の草分け世代で特別招待のテイミテ・バソレ監督などとともに自家用車で旅しました。
テイミテ・バソレさんは昔フランスの高等映画学院で勉強した人で、
たとえば日本では岩波映画の高野悦子さんとクラスメートだったそうです。
テイミテ監督は 昔「 La Femme au Couteau 」という長編映画をつくった人です。

今回の第一回コロゴ映画祭では、コートジボアール、マリ、ブルキナファソから
15ほどのドキュメンタリー映画が上映されました。
コロゴの町の中心にある市の文化センターで上映されました。

  
      映画祭 開会のガチンコ            学校の生徒たちもたくさん集まって・・・
  

テーマはやはり、この国の人々の関心ごと、
Reconiliation ―和解(この戦争のあと、仲なおりをどうやってしましょうか)がメインテーマでした。
だから映画祭のスポンサーのひとつも国民和解省大臣でした。
上映された映画のなかで、ブルキナファソの金鉱ではたらく12歳の男の子の一日を描いた映画や、
コートジボアール、希望の土地と題した モリの映画などが関心をよびました。

前日の開会式はインデペンダンス広場というところでおこなわれ、観光手工業大臣が臨席したので、
地元の生産者グループのひとたちは、それぞれの伝統ダンスや歌を大臣の前で披露します。
この大臣は反乱を起こした側の軍人さんのひとりです。
コロゴの現在の知事さんも闘争で名をはせた有名な軍人さんです。

今日お送りする写真は開会式の模様です。
女性の生産者グループは50ほどあって、つぎつぎにパレード出場、音楽隊が付いていて、
バラフォンや角笛や太鼓のお囃子ですね。
コロゴの伝統ダンスのひとつで ボロイというのがあります。
(パンサー模様の衣をまとって踊る)はわたしの愛しいいとこへという意味のダンスなのだそうです。
写真でしかおみせできないのが残念。

  
          ボロイダンス                 角笛とジェンベ

  
        バラフォンの重装備                グリオのグループ


このダンスは、もう曲芸の極地かもしれません。
来賓席の大臣の前で赤茶の砂をもうもうと舞い上がらせ、砂まみれになって踊りつづけ、
司会者がもういい、もうさがって、さがって・・といってもやみません。

  
 舞い上がるおばさんとアダさんに似ているジェンベ奏者      警備の兵隊があちこちに・・・

  
    観光手工業大臣に敬意を表してダンス         ドゥンドゥン奏者が決めた! 瞬間


さて、今日はあと数時間でコートジボアール・ギニア戦(準々決勝)があります。
朝、イセンがジャロの店にトイレットペーパーを買いに行ったら、
ギニア人のジャロはギニアチームのユニフォームを着ていて、
その店のまえで商売する携帯電話屋はコートジボアールのユニフォーム姿で
なにかおたがいに緊張しています。
ジャロはちょっと恐縮ぎみに 日ごろは町内のみんなにお世話になっているけど、
今日は敵味方になって、、と言っていたといってます。
イセンもオレンジ色のシャツをさっきから着こんでテレビの前にすわって、
いま放映中のガーナ・ナイジェリア戦を追っています。

カメルーンは明日チュニジアと対戦ですね。
そちらも熱気がこもってきていることでしょう。

それではまたおたよりします。


   かずこ




 


 2008年 2月、和子さんから アフリカカップ敗戦

 


江口さん、
 
カメルーンざんねんでしたね。 
わがやでも兄弟分のカメルーン 応援していたのに。

コートジボアールは、エジプトに準決勝で予想はずれでやぶれた木曜日いらい、もうすっかり沈んでいます。
サッカーの
のはなしも聞きたくない。。といってイセンやマンガさんはぼやいています。
ところが、モリさんの見方はちがって、そもそもコートジボ
アールがドロバで勝つぞ勝つぞとはしゃいでいるのは、
あさはかなことで、まだナショナルチームとして成熟して
いない。
国がこんな不安定な情勢でいるときに、なまじ優勝などしていたら、そ
れこそ政治的に利用されるくらいがおち。。
負けてよかったぐらいに思え
、、と、つめたい。

ナショナルチームといっても、ほとんどの選手は、普段コートジボアールでボールを蹴っているわけではありません。西欧各地のサッカーチームに引き抜かれて、ぜんぜんちがう環境のなかで莫大な給料を得て活躍している選り抜きばかり。
そのばらばらにちらばったコートジボ
アール出身の選手たちが、
アフリカカップとか、ワールドカップとかの国単位の
競争があるときに、出身国に3ヶ月ほどまえにもどってきて、
にわかづくりのナ
ショナルチームをつくって、自国の旗のもとに競います。
どこでもだいたい同じ
ような事情。
ただ、エジプトだけは地元の選手たちでチーム組んでいました。

 
ドロバはなんといっても国のヒーロー、人気があります。 
ドロバについてのド
キュメントをみたイセンによると、、
ドロバはベテの人でアビジャンの下町トレッシュヴィルで生まれ。
学校がきらい
で、きらいで、落第ばっかり、ボールを蹴ってばかりいた。
おかあさんは反対
だったけれど、小学校の先生だったおとうさんは、昔サッカー選手だったから理解があった。
13歳のときに外交官のおじさんに呼ばれてフランスにわたり、

家族の期待をうらぎらないためだけに、不本意な法律の勉強をして大学出の紙を手にした。
でもそのあとは、自分のしたいことをやる、とサッカーに入った。
現在英国のチェルシーというクラブで活躍。
給料はどれくらい? ときいたらなんと、月給が50ミリオンCFA50,000,000)。
これはコートジボアール国の大統領の月給が、20ミリオンCFAですから、大統領の二倍以上です。

ドロバがほかの高給取りのスター選手たちとすこしちがうのは、社会福祉にいろいろ出資していることだそうです。
トレシュヴィルなどあちこちにドロバはサッカーセンターを建設中だし、
戦後復
興プログラムというのが今さかんにいわれていますが、
それに参加して、孤児院
建設計画にも出資しているそうです。

けいこさんたちが無事にマルアにつかれたのですね。
いちばん寒い日本から急に暑いところ。
しばらくは体調がびっくりしていることでしょう。
お元気で。
よろしくおつたえくださいね。
 

        2008年2月11日   かずこ



 


 2008年 2月、ある老人のこと

 

       

Aさん

お元気のこととおもいます。
きょう、一枚の写真をとりました。
それは、一人の故郷をすてた老人の写真です。
名前は、サイードゥといいます。
この人は、マルアでは、少数民族のマタカム族の出身です。
年は、おそらく七十前ではないかとおもっています。
年若いころ、この人は、マンダラ山をおりて、ナイジェリアにいきました。
そこで、鉄道の駅の荷物運びかなにかをしていました。
もちろん、なんの教育もないし、資本もありませんでしたから、その日暮らしをつづけていました。
いまから、小生がしっているだけでも、
40年、おそらく45年ほどまえにナイジェリアからマルアにやってきました。
そのころ、わたしのいるドゥゴイ地区は、ピーナッツ畑でした。
マルア市長は、この地域を開発しようとして、
100m100mほどの土地を無料で、希望者に配分しました。
そのとき、サイードゥも土地の配分をうけました。
そこに泥の家をたてて、くわ科の木やカシューナッツの木をうえてすみました。
ナイジェリアでおぼえた荷物運びの技をいかして、マルアの市場を中心に仕事をしました。
すこしたくわえたお金で、プスプスとよばれる荷物運びの車を手にいれました。
その車を両手でおして、市場から、また、市場まで荷物をはこんでお礼をもらうのです。
荷物の上げ下ろしは、ガウラとよばれる屈強なマタカム族の男たちがします。
マタカム語がわかるので、ちょうどいい仕事なのです。

サイードゥはよめさんを何人ももらうのですが、どのよめさんとも、子どもをつくることができませんでした。
いまでも、おそらく
7,8人目の老女が一応よめさんということになっていて、いっしょにすんでいます。
老女の兄弟が死んだので、老女はその兄弟の娘をひきとっています。
サイードゥは、だんだん体力がおとろえてきたので、自分の土地のほとんどを金のある人にうりました。
いまは、まえからの敷地の一角の小さな空間にすんでいます。
年をとってきたので、もうあまり仕事にはでられません。
もちろん、この国に国民年金とか、健康保険などというものがありません。
子どもも、ありません。
故郷をすてたので、故郷の人がたすけにくることもありません。
フルベ族は、少数民族のマタカム族に同情をしめすことはありません。
おなじフルベ族にだって、同情しないわけですから、なおさらです。
だから、サイードゥは、ジリ貧の人生をあゆんでいるのです。

わたしは、散歩コースにサイードゥがすんでいるので、よくかれの家にいきます。
そこで、マタカム語をはなすのです。
同族の青年によると、サイードゥはもうマタカム語がうまくはなせないといいます。

しかしながら、この人の顔はいい顔だとおもっています。
無精ひげのむこうに、人間のもっている運命そのものがみえてくるようにおもうからです。
まあ、この顔をみてください。

          2008年 2月20日      江口一久拝


 


 2008年 3月、塩屋から  高いガソリン代

 

和子さん

こんにちは。
やっとのことで、騒乱のヤウンデをぬけだして、ここ雪のちらつく塩屋にもどってきました。
もどってくると、あまりにも寒いのでびっくりしています。


じつは、ガソリンが600CFA もするので、ドゥアラからストがはじまったのです。
すべてのタクシーがとまりました。
人々が街にでて、略奪するので、商店などしまったままです。
自動車にも、投石があるので、はしれないのです。
放火なども日常茶飯のことになっているようです。
公式の発表によると、死者の数がすくないですが、どうやら十人くらいは、とばっちりをうけて殺されたようです。
それが、首都ヤウンデに波及。

大使館の禁足令のため、ホテルに缶詰。
おかげで高い食事代をはらわせられました。
でも、無事出国。


カメルーンは石油を産出しています。
それなのに、
600CFAはどうかんがえてもおかしいです。
石油といえば、隣国チャドでは、石油利権を手にいれようとした反政府軍が首都にせめこんできましたね。


イラクで戦争がおこっているのは、これまた石油利権とからんでいますね。
いくらかんがえても、日本やヨーロッパより収入のすくない人たちが、
世界水準の値段でガソリンをかわなければならないのは、こまったものです。
ガソリンにかわる安いエネルギーをみつけてほしいですね。

そうそう、CFAは結局Euroですね。このEuro1.5米ドルまでたかくなりましたね。
そういうことは、
Euro圏の人たちは、アメリカに輸出するのがむつかしくなってきたということですね。

とにかく、これでは、アフリカ人の生活はどんどん苦しくなるばかりです。なんとかしてほしいですね。

                              200836 
                                        江口一久拝
 
    写真は 北部カメルーンの
   ヒデ族の着色された半さいヒョウタンです。これを女性がかぶるのです。
   以前、この人たちは裸で、素足であるいていました。
   いまでは、バイクにのっている人もいます。
   ちょっとまえまで、自給自足の生活をしていたのに、
   いまでは、ガソリンや灯油をつかうようになってきました。
   まあ、こんなことが、グローバライゼイションにつながるというわけですね。
   ついでながら、この着色は、フルベ族からごく最近ならったものです。



 


 2008年 3月、 カメルーンの日本大使館の Kさんとの手紙 
 

 

  Kさんは、現在 ヤウンデに住んでいます。
  Kさんは、ガルアでフルベ族のあいだで フィールド・ワークをしていました。
  二人のけいこさんたちが おせわになりました。



 3月8日  村長さんからKさんへ 

 Kさん

騒動はフランス語で、
emeute (最初の e にはアクサンテギュがついています) というのですね。
これは、世界情勢の反映です。
政治もわるいです。
新植民地主義、新自由主義のかげで、わたしもふくめて、一般市民が大変な目にあっているのです。

資源主権という考え方があります。
自国の資源は、自国が自由にするというものです。
カメルーンの石油はフランスのトータルにとられているではありませんか。
大統領は、その一万分の一をポケットにいれて、よろこんでいます。
そのへんがおかしいのです。
ベネズエラでは、それがあかんということがわかって、いまアメリカのエクソンとあらそっています。
OPECはベネズエラの立場を資源主権の立場からベネズエラ指示を表明しました。
第三世界の資源は、第三世界のものなのです。
日本は石油がないので、だませる相手はだますという態度です。
それは、fairではありません。

まあ、政治や商売の話に fair をいってもしかたがありません。
でも、小学校からうそをいうなという教育をしていて、
商人や政府の役人という立場ならうそを自国の利益のためにうそをついてもいいということにはなりません。
やはり、おかしいことはおかしいという勇気が必要ですね。

日本の援助で、カメルーンにたくさんの校舎がたちました。
でも、南北の比をみると、あきらかに99%まで、南にたてられています。
やっと、このあいだ、マルアに何棟か校舎がたちました。
カメルーンはご存知のように、南よりまずしいです。
でも、北カメルーンには全体の40%くらいの人がすんでいますね。
いくら、どこに校舎をたてるかは、被援助国が自分たちの判断で、きめるとはいえ度がすぎてはいませんか。
なぜなら、わたしたち、納税者は、こまっている人から救済してほしいとおもっているからです。
それができないなら、援助はやめるべきです。

まあ、こんなことは、すべて、political correctness ということとかかわっています。
あなたは、そこにいて、すべて本省の指示でうごく、上層部の指示でうごかなければならないのでしょう。
でも、こまっている一般の人の立場をわすれないでほしいとおもっています。
ひとつよろしく。
あなたは、フィールドでいろいろなものをみていますから、どうかこまっている人の立場でよろしく。

それとはべつで、二人のけいこさんのお世話ほんとうにありがとうございました。
た、そちらにあたらしいことがおこったらお知らせをおねがいします。


      江口一久



  Kさんから 村長へ 

江口先生へ

 メールありがとうございます!
 お疲れ様でした。
 騒乱、というのでしょうが、ヤウンデがごたごたしてしまい、
 うちにいらして頂けなかったのは残念ですが、
 私のここでの任期はまだまだ2009年3月までありますので(長い)、
 また次回、是非お立ち寄りください。
 mofa
。 マタカムを指すのですか。
 マタカム・go.jp。。  私もうれしいです。  
                   K より


  村長さんから カメルーンの Kさんへ 


K さん

カメルーン滞在ちゅう、何かとお世話になりました。 ありがとう。
でも、ヤウンデでは、K邸にいけなかったのが 残念です。
うちのお客さんのこと、ほんとうにありがとう。
メールアドレスの Mofa は、Matakam 族を意味しますね。
うれしいなあ。
どうぞ、気をつけて生活してください。
 
          塩屋にて   江口一久拝





 


 2008年 3月、アビシャンから  ジェンベ教室の写真

 

アビジャンの かずこさんから、ジェンベ教室の写真とメールがきました。

 3月26日  かずこさんから村長へ 


いま、ここの気候はいいです。
 土曜日の昼からは、いつもジェンベをたたきます。
  場所は、わたしたちの「寺子屋」の庭です。

                  アビシャンにて  かずこより

  
        教室で            庭の木の下で


   
   ニボエ、マサト、アヤカ、ハヤト   庭で練習中

  
アダさんと 和子さんの息子、イセンさん   モリ・トラオレ先生の右隣はハヤトくん

        


 

  事務局から

 いやあ、気持ちよさそう・・・
  かずこさんちの寺子屋ファミリー、仲良くって楽しそうですね。
   子どもたちが太鼓を続けられる豊かな環境・・・いいですよね。
    うらやましい限りです。


 


 2008年 4月1日、村長から アビシャンの和子さんへ

 

  かずこさん

アビジャンもたいへんらしいですね。
あなたは、まきこまれてはいないのでしょ。
気をつけてください。
このまえのカメルーンであったのとおなじことがおこっているのですね。

それにしても、物価がたかすぎます。
これは、世界中の投機家のおかげです。
一番ひどい影響をうけるのは、アフリカです。
日本も、
4月一日から味噌、しょうゆ、ビール、油など生活必需品の値上げがありました。
いやな話ですね。

そちら、あいかわらずパンはたべていませんか。

        江口一久拝

 PS  さくらもうすぐです。でも、ここ二日ほど寒いのです。


 4月3日  和子さんから村長へ おへんじ 

 江口さん、

アビジャンのニュース さっそくそちらに つたわったのですね。

月曜からデモははじまりました。
月曜のあさ、お料理つくってくれるアリさんがちかくのマーケットへ米や野菜かいにいったら、
マーケットのまわりは封鎖されていたので あともどりしてきました。
おおぜいの主婦たちが、鍋かまをひっぱたきながら, 
バグボ(大統領の名)、めしくわせろ、腹へった、飯食わせろー と叫びながら
大統領官邸へ向かおうとしているのを おしとどめようと 機動隊がでてもめている・・・と アリがいいます。
そのうち、ボンボンと催涙弾の音がきこえて、ガスの匂いがしてきたので、わたしはうちの窓をしめました。
夕方のニュースで、一人が亡くなり 10人ほどケガした と報道されました。
きのうも 市内あちこちでデモは続いていました。
晩になって、バグボ大統領がテレビで国民に 物価を引き下げるから・・・と約束をしました。
それで、今朝は いちおう平静になっています。

なんでもかんでも 日常品がたかくなっています。
肉がキロ1600セイファだったのが 急に2000セイファーになってしまいました。
ガソリン代も ブアケ(中部の町)では2倍とか、3倍にも急騰した とききます。
わがやの朝食は バターやミルクのパン食は 子供たちの抗議の目を無視して わたしの独断でやめました。
ぱっと、日本式にしました。
残りもののごはんと煮物でおじやにして小魚やゴマふりかけた朝食です。
これおいしい?でしょ、とくりかえしているうちに、いやそう にしていた子らも だんだん慣れてきました。
たまにはとり肉でおいしい "リ・ヤサ" も しますから それでいいのです。
江口さんの旅行記・雑記にもカメルーンでおこった同じことが書かれていました。
よんでいて同感です。
ほんとうにアフリカはえらいめにあいます。

べつのコンピュータで 日本語の入力が できるようになりました。
ようこさん(おはなし村の村民。この夏休み、アダさんのジェンベ教室に弟子入り希望中)からも
メールいただきましたので、これから連絡とります。

それから、はやとくん ですね。
アビジャン在住の日本人の Kさんのお子さん。 8才か9才です。
ふだんわたしは うちにいる子供らから おかあさん と呼ばれてます。
それでモリさんはおとうさんですね。
アフリカでは 子供らにとって親くらいの年配のひとは、おとうさん、おかあさん、
年上のひとは お兄さん、お姉さん と呼びかけることがありますね。
わたしのことを おかあさん と呼ぶのは イセンだけでもないわけです。
このへんが、アフリカの生活の ちえかもしれません。
このまえお送りした写真 <庭で練習中> で 立ち姿4人の左から ニボエ、マサト、アヤカ、ハヤト。
マサトくんはハヤトくんの弟で5才。 アヤカちゃんも日本人のFさんのお子さん。
ニボエは わたしを おかあさん と呼ぶうちの子です。

現在アビジャン在住の邦人は、わたしもそうですが、こちらの人のところにお嫁にきたケースや、
日本からこちらに移り住んだご一家や、去年10月から ぼちぼちもどりつつある日本大使館の人とかで、
全部でも30人くらい。
昔は日本企業や、開発援助関係で ジャイカの事務所がアビジャンにあって、
多いときにはコートジボアール全体で 邦人は300人以上数えました。
でも 2002年以来の危機情勢で すべての日本企業は撤退しています。

去年の今ころ 江口さんにつれていってもらったお花見をした公園、なつかしいです。
あの時撮ったヴィデオを アダにみせたら、さくらのトンネルに びっくりしていました。
 かすみか、くもーかー
が わかったと アダがいいました。

   かずこ
  




 4月3日  村長から おへんじ 

かずこさん

このようなニュースは日本では、いっさい報道されていません。
ナイジェリア国籍のアメリカ海軍の海兵が 脱走して、日本のタクシーの運転手を 
ころしたはなしが、報道されているだけです。
わたしは、ラディオ・フランス・アンテルナショナル
(RFI)のホーム・ページをみているからわかるのです。
仏語圏のニュースは、これにかぎりますね。
ついでながら、英語圏は、やはり
BBCです。
ただ BBCには、アビジャンのことはでていません。

なにか、この騒動の写真がありましたら、おはなし村の仲間に おくってほしいです。
これも、世界の投機家のおかげなのですから いやになります。
食料主権という考え方があり、どの国も自分のたべるものをつくる権利があるので、
国民が十分たべられるだけのものは、国内生産するべきですね。
アフリカで小麦粉のパンをたべると、小麦粉があがれば、
国際的小麦の値上がり分も、アフリカ人も負担しなければならないですね。

かずこさんもたいへんでしょうけれども、
パン以外でも、いいものがあるのでそれで抵抗してください。
これは、大統領がわるいの一言ではすますことのできない世界的な大問題ですね。

みなさんによろしく。

     江口一久拝




 4月4日  和子さんから 


江口さん

アビジャン・ネットというサイトに騒動の日の写真が載りました。
わたしが説明をつけた写真はそのままではちいさくて、よくみえないかとおもいますが。
どうでしょう。

   物価が高すぎる。     イヤを燃やして道路封鎖。

        
 機動隊と。    空腹。

     
 左に主婦が杵を振りかざすのがみえる。
   臼に入れた粟やキビをついたり、バナナやニャムイモの もちをつく道
具。

  物価高騰は外から入ってきた。
  政府でどうしようもない、と国民に説明する バグボ大統領。 


                      ココディのマーケット前。
                        魚、トリ、野菜、わが家の買い物もここで。


きょうの昼食は、この地でとれる白豆を煮て 
ニジェゲワラ (鱈のような魚を乾燥させたもの。 特有のにおいがあっておいしい。
江口さんだったら お酒のつまみにぴったり?) の トマト煮をかけてたべました。
ゆうべは ニャムいもと さつまいもを揚げて 缶詰めの いわしのトマト煮をかけて。
今晩は、ごはんのおかずに インゲン炒めと 旬ものの きのこがでたので 
それも炒めて、ひき肉だんごと。

こちらでとれる食材は 野菜でもなんでも とてもおいしいです。


  かずこ




 


 2008年 5月16日  和子さんから  NHK衛星放送 出演のこと

  


江口さん


ブログを拝見してコンサートの写真こちらのみんなでみました。

江口さんのパインのシャツのあの色 いいですね、と モリがいっています。

アダさんは最近パソコンをこなすようになって、メール通信はもちろん、
ヨーロッパでジェンベで活躍する自分の兄さんや、
従兄弟たちのサイトと自由自在にコミュニケートして、わたしたちにもそのコンサートの模様など、
インターネット上でどこからか探して、みせて聞かせてくれます。
もうレコード屋さんへいって CDやDVDやらを探して お金はらわなくても
みんな こちらの若い人たちは いろんなこと知ってますね。
ネットの世界はすごいいきおいでこちらの生活にはいってるなと思います。
アダさんにとって携帯電話は まるで自分の一部みたいなもののよう。

18日日曜のテレビ番組 「地球アゴラ」の番組、(NHK BS1/21時10分から21時59分)
お時間あったら 見てくださいね。
アフリカの4カ国が 紹介されます。

おととい台本がおくられてきて、えらいことです。
秒きざみの演出で、こちら役者側はえらいことなったと、試験場に向かう心境、心臓どきどきですね。
それぞれの国からエイズ、格差のある社会、水問題、森林破壊、食料高騰 教育の荒廃、、と
アフリカのかかえる深刻な問題を紹介する、、、、という台本ですから。
でもアフリカの魅力、それから、希望、をつたえたいですよね。
こういうのは何パーセント上がった、下がったという 数値になってあらわされないものですからね、、
むずかしいのでしょう。

結局コートジボアールは 今トップ記事の 食料高騰と教育の荒廃にからんだ ホームスクーリングのことを
私とモリさんがなにかしゃべる ということになりました。
カラスのことやアダさんの音楽を 最初は紹介したかったのですが、、まあ、次回にということらしいです。

なんとなく江口さんにこの思いを聞いてもらいたくて これを書きました。

それではまたのちほど、

     かずこ



 


 2008年 5月18日  和子さんからの お電話 

     
NHK衛星放送「地球アゴラ」 出演辞退のこと

  

    NHK衛星第1放送の「地球アゴラ」に出演予定だった和子さん。
     急遽 辞退ということになった、と 泣きながら 村長へのお電話がありました。

 
     

かずこさん、お電話をいただきました。

そのなかで、突然、いままでとはちがった 
すべて東京側がつくりあげ、現地にいるあなたが必要とされない台本がおくられてきたということでした。
そして、あなたは、その台本をロボットのように よむだけということになっていたのですね。
その台本では、あなたの体験や知見がまったく無視されていたのですね。
その結果、おもいあぐんで、アフリカのためにも、自分の名誉のためにも、
役にたたない番組にでるのをことわられたのですね。

面倒かもしれませんが、その理由について、もう一度かいつまんで、メールにしてください。
よろしくおねがいします。


     江口一久拝




 2008年 5月22日  和子さんからのお手紙 

  
  NHK衛星放送「アゴラ」 出演辞退のいきさつ

 

 
 江口さん、 地球おはなし村の みなさん


わたしはつぎのようないきさつで、NHK「地球アゴラ」の番組を ことわることになりました。

わたしは、事前取材の段階で、一ヶ月半のあいだ その担当者とは さまざまなはなしをしました。
本番の4日前に仮台本がおくられてきました。
だいたいの打ち合わせどおり わたしと夫のモリが 
食糧高騰と教育の荒廃について かたることになっていました。

仮台本によると 質問にたいして わたしたちが答えるセリフが 一行一行かかれてあります。
アビジャンは、治安が悪く 私は出歩けないことになっている。
米の値段もわたしの知っている値段でなく、どこかのリサーチで調べてきた数値がかかれている。
内戦時に教育を受けられなかった子どもの数が、全人口1800万人のうち1000万人いる、とある。
わたしの口からでることばが まったくでていないのです。

本番3日前に台本によると、「寺子屋」がきえて、若年層の失業率70パーセント とあります。
そもそも統計のない国なのに、勝手にかいています。
大学の状況については、夫のモリが 専門家に電話をかけたり、であったりして しらべました。


本番前日の夜、最終版の台本によると、教育事情として、夫 モリが
学長の 横領疑いの事件について はなすことになっています。
モリは、「子どもたちが知識を 丸暗記するだけでなく、コミュニケーションと文化を大切にし、
世界にとびだしていって、地球の一市民となる」という展望を かたりたかったのです。
しかし、モリの提案は 没。
モリのかわりに、スタジオゲストが、
 「コートジボアールの就学率は 何パーセントから何パーセントに下がっている。
  貧困からぬけだすには 教育を与えねばならない」
というセリフで 締めくくることになっていました。

そんなわけなので、「寺子屋」も「物価高騰」も 
アダさんが 一生懸命撮ってくれた かずかずの写真も 削られていました。
それについては、すこしずつ そちらにおおくりします。
みなさんにみてもらってください。


現在、あるこちらのNGO(非政府組織)の団体が
この TICAD
アフリカ開発会議)に出席するため 日本へいっています。
よくわかりませんが、この団体は、第一回 TICAD 開催の折に、
招待された コートジボアール人たちの何人かが、設立したそうです。
この団体は、どんどん日本資金や援助をひきだすので、テレビにもよく出ます。
この主宰者は 高級車をのりまわしています。
この人は 大統領府と関係があるそうです。

一年前のある日、ある若い日本人女性が この団体の研修をするということで
アビジャンにやってきました。
わたしたちのところにもやってきて、ぜひジェンベをアダさんから習いたい といいました。でも、
「こちらのおとうさんの許可をもらって、お金をだしてくれるかどうかきいてみないといけない」
といいました。
「おとうさん」とは、その NGO の主宰者のことでした。
この人は、滞在費、語学学校授業料、その他 もろもろ 日常のおこづかいもすべて、
その「おとうさん」に支払ってもらっていたのです。
アダさんも、こちらも お金がないので、残念ながら ただでおしえるわけにはいきません。
結局、この人のコートジボアール滞在は、ジェンベも習うこともなく、
ひどい目あっただけだったそうですが、先日帰国しました。
日本の若い女性は 気をつけてくださいね。

   かずこ

     

 ※ アップの翌々日 追加、いただきました・・・

  「おとうさん」 が支払っていたのではなく、それは 彼女のお金なのです。
     つまり、彼女に日本を出る前に 滞在費、食費、生活費 との名目で 相当の金額を払わせてから、アビジャンへ来させた、、
      そして おとうさんが、その金を独り占めして 勝手に使い、
       彼女は 自分のお金なのに、自由につかえなかった。。 という状況です。
          このへんは 詐欺っぽい ともいえるのです。


     ・・・・とのことです。

 

     事務局から

     何も知らず NHKの「地球アゴラ」を見て、どうして かずこさんが出てこないのかと、 ???・・・でしたが、
      そんな事情があったんですね。
     
       アフリカのことをよくよくご存じの かずこさんが、 今回 本当に言いたかったのに 言えなかったこと、
        送られてきた台本と 何がどう違うのか、 このホームページで じゃんじゃん言っていただきたいと思います。

         続編を どうぞよろしく。

 


〜〜おたより最新版〜〜

 


 2008年 6月8日  和子さんからの お手紙


  

 NHK「地球アゴラ」出演辞退騒動の後の和子さん、3週間ほど マラリアで 苦しんでおられたとのことです。
  6月になってやっと回復。コートジボワールの教育について、
   かずこさんが ほんとうにいいたかったことを、書いていただきました。
   

     

2008/5/28

 かずこさま モリさま アダさま

  NHKのすったもんだ、大変でしたね。
  でも、色々教えていただいて、勉強になりました。

  NHKが ボツにしたこと、台本に書いてあったみたいなことじゃなく、
  かずこさんたちが 本当にいいたかったことが どんなことだったのか、
  微弱ですが、地球おはなし村のホームページに載せさせていただきたいと存じます。

  アフリカに今どんな教育が必要なのか、それがNHKや政府がいうものと どう違うのか、

   ぜひモリ先生にも書いていただきたいです。
    次のメールをお待ちしております。

     どうぞ よろしく ・・・・  

      おはなし村のやまどんより

     

2008/5/31

やまどんさんへ、

 メールをどうもありがとうございました。
 テレビ番組の件では、みなさんからの応援があって、とてもはげまされました。 
 電話で江口さんが事情をすぐに察知してくださって、ことわりなさい、そんなもん、といってくださり、
 ことわることができ、解放されました。 (電話で泣き声だったのかなあ?)

 ここ数日マラリヤで寝ていました。
 元気になったらメールを書きますから、もうちょっとお待ちくださいね。
 モリからもありがとうとのことです。

   かずこ

     

2008/6/8

やまどんさん、

 おみまいのメール ありがとうございました。
 マラリヤで週間もまいったのは、はじめてです。
 最近のマラリヤ菌は どんどん強くなって、 従来のニヴァキンという薬では もう対抗できません。
 それで 強い薬を飲むと、こちらの体も まいりました。

 さて、学校のこと。 背景などの説明から。

 Homeschooling
は 国の教育制度に拠らずに、 父兄が集まって 子供たちの教育をかんがえ、
 自主的なプログラムを 適切に組んで 子供たちに授業をする、という試み。

 この背景には コートジボアールの 既存の学校教育制度は 数年まえから 問題をたくさんかかえてきていること がありました。

 まず、独立時に フランスから 押し付けられた 教育制度でした。
 当のフランスでは もう改定されたような 古いプログラムが いまだにつかわれており、
 その 膨大な役に立たない知識の丸暗記を 子供たちはしいられます。
 すごい負担です。
 そして公立、私立とも 初等教育6年を終えると 中学校へ進学するための 国家試験が待っています。

 これが 子供たちにとって 第一の関門。
 試験の時期には 全国的に さまざまな不正事件が 常におこります。
 ( 試験問題の漏洩、 袖の下で生徒を受け入れる校長、 我が家のイセンの10年前のこと、
   試験場で とつぜん監視教官の人相がかわり、生徒たちに声をひそめて、ひとり 百CFA 出せば
   答えをおしえてやる、と言い出した・・ 何人かは小銭をあげていた、僕は出さなかった。と
   家にかえって言いました。 現在も状況は 似たり寄ったり。)

 教師(公務員)の労働条件は 初代ウフエ・ボアニ大統領の時代以来、 改善がみられず、
 初任給 8CFA2万円) は 据え置きのまま。
 また、国の奨学金 生徒を 何パーセントか受け入れる義務を課された 私立学校は、
 国が ちゃんと補助金をしはらわないため 経営困難になる・・
 そんなこんなで、 数々の教員組合は ストライキをひんぱんに起こし、 授業がない日々が続く。
 こうして わけのわからない学年が 終わってしまう。

 モリは 国立ココデイ大学で 演劇とコミュニケーションの講座を もっています。
 が、 実際は 数年前から 講座は できなくなっています。
 教室で 講義をしていると、 別の講座のグループが入ってきて、 取り合いになります。
 教室が たりないのです。
 当時は 国が北と南にわかれていて、北の大学の学生たちが アビジャンへ避難してきたので、
 キャンパスは 対応しきれなかったこと にも一因あります。
 しょうがなく モリはカラスの庭で 学生に講義をしていました。
 大学教師の給料は 40CFA10万円) ほどからです。
 例の 「学長の横領疑い事件」 なども 最近あったりで、 大学教師のストライキも頻繁におこって 休講がつづくキャンパス。
 このように 幼稚園から大学まで 似たり寄ったりの 慢性的な状況が 背景にありました。


 2006年度は 新学期がはじまって すぐにストライキが 全国的に起こり
 6
ヶ月以上、 公立学校の子供たちは 授業も無く 家でぶらぶらしていました。
 うちにも 小学生のふたりの子がいますので、 おなじような思いを抱く 父兄の人たちと相談して、
 カラスで 子供たちを集めて 授業をすることにしました。
 2004年閉鎖された アメリカンスクールで勤めていた ガーナ出身の とても熱心な先生と 出会えたということも チャンスでした。
 ( 2004 11月、政府軍が ブアケのフランス軍駐屯地を爆撃、フランスが 報復攻撃をする事件がおこったあとの
   アビジャン騒乱状態のなかで、 多くの西欧諸国の外国人は コートジボアールを出ていき、
   フランス系学校など インターナショナルの学校は 閉鎖されました。 アメリカンスクールも そのとき閉鎖されたのでした。)

 Homeschooling
は いまのところ 7人の生徒 (3才から13才)、月曜から金曜の 8時半 から 13時半。
 授業は すべて 英語でおこないます。
 英語、算数、を中心に、 フランス語、地理、歴史、生物、絵、音楽、それから 週2回 囲碁の教室も あります。
 ゲーム感覚で とっつきの早い子ども達、 囲碁上達は 目をみはるばかりです。

 どうして、英語で?
 植民地支配を受け、「独立」後も 依然フランス語圏に 閉じ込められていることの 大きな息詰まり感、ハンデイ